大善寺 玉垂宮
2021年08月23日
久留米市大善寺町宮本に鎮座する玉垂宮は、古来、筑後国三潴庄鎮守、高良御廟院大善寺玉垂宮と称し、盛時には衆徒四五坊社領三〇〇〇町を有した朝野の崇敬あつい古社であります。祭神は、玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良玉垂大菩薩とも称した)八幡大神・住吉大神で創建は古く、凡そ一九〇〇年前の創祀と伝えられています。
神宮寺の高法寺(弘仁五年(八一四年)大善寺と改称)は、天武天皇ごろの白鳳元年(六七二)法相宗の僧、安泰和尚によって開基されました。
このように、大善寺の玉垂宮は長い間、寺院と神社が一体的に祀られた典型的な神仏習合の神社でしたが、明治二年(一八六九年)の廃仏毀釈により大善寺は廃され玉垂宮のみ残り、現在に至っています。しかし往時の大善寺の遺構である鐘楼をはじめ阿弥陀堂(鬼堂)や旧庫裡が現存し、神仏習合時代の面影を色濃く残しています。