咸宣園

2021年08月23日

咸宣園

幕府の西国筋郡代が置かれた豊後日田では、町人を中心とした自由な風土が育まれ、広瀬淡窓が咸宜園という私塾を創設しました。
咸宜園では、身分や年齢、学歴という制限のない自由な校風の中で、塾生に自治をまかせ、実力を客観的に評価した「月旦評」など特色ある教育が全国的な評判となり、各地の私塾に影響を与えるとともに、全国60カ国以上から5千人を超える門下生を集め、江戸期全国最大規模の私塾となりました。
咸宜園に隣接した豆田町は、塾生に住居を提供するなど様々な支援を行い、咸宜園と共生した町並みが今も残っています。

大分県日田市淡窓2-2-13