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2021年08月12日
寛文2~3年(1662~1663)の大干ばつがきっかけで造成工事が行われる。その後、当時の庄屋古賀百工を中心に現在の位置に取水口を変更。岩盤をくり抜いた切貫水門に。現在も663ヘクタールの水田を潤している。